Jack the Ripper@現場記録

日頃から備忘録の癖をつけようと思って今日はジャニーズ以外の観劇のお話。

9/23(水)に知り合いに誘われてミュージカル『Jack the Ripper』を観劇。

名前を聞いた時から「あー私絶対好きじゃん」って思いながらこの日を楽しみにしてました。

 

元々この日はヒルナンデスでしめちかが出るからという理由で夜公演だけ観る予定だったんだけど、「絶対マチネのキャスティングで観た方がいい!」ってゴリ押しされて急遽お昼から行ってきました。

 

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はじめての日生劇場

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今回初めて日生劇場にお邪魔したんだけど、マーメイドラグーンの海の底みたいなイメージを私は抱いた。丸みのあるホールで3階まで座席はあって2.3階は高さがあり見やすいだろうなって思った。1階は後方になるにつれてなだらかな傾斜になっていた。

なだらかすぎて後方すぎると前の人の頭と被って見にくいような感じがしたから見るのであれば前方センターか(中列くらいまで)2.3階センターがいいかなって思った。前で見られるに越したことはないけれど。最初はお昼だけの予定が内容良すぎて急遽夜も観ることになりました。嬉しすぎます。

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マチネ:1階後方(M列)上手側

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ソワレ:1階前列(中列というのかな?H列)センター

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ジャニーズ界隈のこと

ジャニーズ以外の舞台に行くのは久しぶりだったんだけど、当たり前に中で取引してる人なんていなくて、至って落ち着いた気持ちで最初から最後までいられたなあ。

 

ジャニーズの舞台ってやっぱり少し異様なんだと思う。中でサイチェンや買い直しってザラにあるけど、多分それジャニーズ界隈だけです(笑)これが普通なんだけどね。与えられた座席で楽しむって大事なことだと思う。少しでも近い席、良い席で見たい気持ちはすごくわかるけど、それなら良い席を買いなさい。それなら行ける日程でチケットを買いなさいってなりますね。(それが出来ないからこんなことが繰り返し起こるわけなのですが)

 

ジャニーズの舞台ってチケットが余ってること自体なかなかないから追いチケが出来ない。お金を積むかチケットを余らせている人を探すか。たった1回のチャンスにかける人もいるからダメだとわかっていても良い席への投資は個人の自由かな、と思ってしまう。とにかく特殊な現場なんですよね。

 

兎にも角にもジャニーズとは全然違う世界を体験したことで自分の中の普通の感覚が戻ってきたように感じた。ただ1つ言えるのは、ジャニーズ以外の舞台だと男性の観劇者も多いから席によっては本当に目隠しになる。私は1回目その影響をもろに受けて見えない部分がたくさんあった。(あとマナー悪すぎてストレスだった、おじさん嫌い)

 

 

ミュージカル『Jack the Ripper』

内容が凄く良くて私は大号泣して帰ってきた。しかも2回とも同じ場面で1人で静かにクソほど泣いてた。2回目に関してはそのシーンが近づくに連れて泣いてたから初めて観劇する人から見たら、「なんでこの人今泣いてるの!?」ってなっていたと思う。結末がわかってたからその時が来て欲しくなかった。

 

物語の舞台

舞台は1880年代のロンドン。私はこの時代がすごく好きなんだなって思いました。そういえば、昔からシャーロックホームズやレイトン教授(ゲーム)が好きだった。私がハマるものは大体1880年代の英国紳士だったなあって観劇中にふと思った。服装がとにかく好み。キャスケットを被った人が今でも好きなのはこれが影響しているのかな。茶色系チェックのジャケットにベージュのキャスケットの服装が好き。スーツもジャケットの下にベストを着こんでいるのが好みです。朝は丸眼鏡をかけて書室でコーヒーを飲みながら足を組んで新聞を読む男性の姿がかなり好みです。タバコはパイプ煙草がいいなあ。ピンポイントでドツボの服装をしているので英国紳士大好きです。

 

小さい頃は何が好きだとか特に意識したことはなくて、この時代が好きだというものもよくわからなかったけれど、なんとなく好きだなって感じるものにはいつもどこかしらに共通点があった。(なんでこのタイミングで気付いたのかは本当に謎。)

あと最近はあまり触れていないけど、昔はすごくミステリーものが好きでよく事件簿の本を買っていたなあ。ジャックザリッパーの名前に惹かれたのは多分これでしょうね。

 

Jack the Ripper

ジャックザリッパーは(通称:切り裂きジャック)1888年にイギリス・ロンドンのホワイトチャペルとその周辺で犯行を繰り返した正体不明の連続殺人犯。未解決事件の犯人とされるジャックザリッパーを題材にした舞台なんて絶対面白いに決まってる。

 

ジャックザリッパーの世界観

とにかく世界観が好きだった。セットがすごく作り込まれていて細やかな配慮まで行き届いている感じ。舞台は1880年代のロンドン。石造の街並みと傾斜のある狭い路地裏をイメージした景観。舞台の奥側になるにつれて道幅が狭くなっていて奥行きがあるように感じられる。ロンドンの象徴ビックベンと趣のあるガス灯もこの街をより印象付ける。しかもビッグベンに関しては奥行きを利用して3段階で魅せていて、視覚をうまく利用した造りだなと思った。家の中の場面では中の様子が見えるように家部分を前方に移動させ、中を切り出している工夫がされていてわかりやすかった。計算し尽くされたセットに凄いという言葉しか出てこなかった。細部にまで拘ったセットによってよりこの世界に引き込まれた。

 

この舞台は生オケで臨場感があった。やっぱり生の音は良い。最近は良い音楽を聴く機会が減ってしまったから生の音の素晴らしさを改めて感じられて嬉しかった。

良い音も相まってはじめの歌い出しで震えた。鳥肌が止まらなかった。May'nは最初声があまり出ていないように感じたけど時間の経過と共に声が伸びていって凄いなと思った。一番驚いたのはポリーの声質と惹きこまれる歌声。この舞台の中で一番好きだった。

 

演出

演出面でいうと目の錯覚を利用した空間の使い方と光の演出がすごかった。プロジェクションマッピングをささやかに使い情景をより鮮明にさせたり、時の流れを表記する場面では白い光で文字を浮かび上がらせたり…。映像では編集で簡単に表現できるけれど、これが生の舞台で出来るとは思っていなかったからすごく驚いたし、時間軸がバラバラのこの作品をわかりやすくしていて観る側に優しい演出が多かったように思う。煌びやかなショータイムの場面も、私たちを作品の中でショーを見ている観客に見立て、セットの一部として組み込まれていてこの物語の中にいるような感覚になった。

作品上、血を扱う表現が多くあったけれど、ダイレクトに伝えるのではなく別のものに見立てた表現が多かった。少しポップに、かと言って軽んじるわけでもなく、暗くなりすぎない表現で見ている人の気分を害さない丁度良い感じだった。

 

キーワード

私はこの作品に3つのキーワードを強く感じた。

「貧富の差」「愛」「人間の光と影」

 

貧富の差

これまで私が思っていたロンドンは英国紳士のイメージが強かった。上質な洋服を着て良い暮らしをする。お金に困っている様子がない、男性も女性も上品で休日も優雅にアフタヌーンティーを楽しんで余暇にいそしむそんなイメージ。

でもね、それは間違いで、いつだってどこにだって貧富の差は存在する。

この物語の連続殺人犯ジャックザリッパーの被害者は誰か。ホワイトチャペル周辺で生活をする娼婦である。作品の中でも娼婦に対する偏見の言葉が飛び交い卑下されて低下層の仕事だというのが印象付けられた。今も昔も夜の世界に対しての偏見の目は大きい。

 

中流階級以上の人達は新聞の一面の切り裂きジャックの記事を読みながら「記事がつまらない」「もっと面白い記事が出てほしい」と望んでる。華やかでお金に困らない暮らしをしている人々にとってジャックザリッパーの一連の事件は自分が生活する日常とは違うところで起こっていることで、彼らにとってこれはエンターテインメント。日常に刺激を与えるスパイスでしかない。彼らは自分たちの生活に影響がないことを分かった上で同情する。心のどこかで見下している。身分の差は服装に表されていた。裕福な人々は上質な洋服を着て楽しそうに笑う。娼婦は肌の露出が多い赤い洋服を身に纏い娼婦を強く強調させる。

 

赤色は「愛」「エネルギー」「行動」「興奮」「危険」といったものを連想させる。この作品の中で赤は「愛」の意味合いが強いのだろう。娼婦の売買の様子が何度か描かれている。街中にいる赤い洋服を身に纏った女性にチップを持った男性が声をかける。お金で愛を売る、偽りの愛。

 

この街で娼婦として生きるポリーもまた、自分の身体を売って生計をたてる。刑事のアンダーソンとはかつて恋に落ち愛し合った仲だったが、既に終わった関係。彼はポリーに「早く娼婦をやめて他の仕事をしてほしい」と伝えているがポリーはこの仕事を辞めない。厳密にいうと辞めたくても辞められない。格差社会のこの環境で教養を持たない女性が生き抜くためには娼婦として働くしかなかった。私は娼婦としてしか生きられない…悲しいポリーの言葉が胸を打つ。

 

連続殺人犯の犯人を誘き出すためにおとり捜査が行われることになり、アンダーソンはポリーにお願いをする。ポリーはアンダーソンの話に耳を傾けずお酒を飲みながら赤い薔薇を髪につける。赤い薔薇をつけた娼婦がおとりの目印。アンダーソンはポリーにおとり捜査であることも自分の大事な想いも伝えられぬまま作戦は決行される。

赤い薔薇をつけたポリーにチップをちらつかせながら声をかける男(ダニエル)。チップを受け取り路地裏に消えるポリー。汚れていく…私はまたお金で買われていくんだ…。その時のポリーの悲しそうな顔が忘れられない。この辺りから私は涙が止まらなくなったし、このまま時間が止まればいいのにとさえ思った。このまま物語が進まなければ悲しい結末を迎えることはないのだから。

 

アンダーソンはポリーを守ることはできなかった。ポリーは首をナイフで切られ橋の上で死んだ。

 

 

現れると思っていたジャックはその場に現れなかった。そこで気がつく。

 

 

 

ジャックは...いない...?

 

 

 

ダニエルがジャックだった。

 

 

劇中に何かずっとひっかかっていた違和感。そういえば劇中、ジャックとダニエルがターゲットを探しているときも娼婦に手をかけたのはダニエルだった。何故隣にいるのにジャックは何もしないのだろう、とモヤモヤしていた謎がこの時全て解けた。

 

人間の光と影

ジャックは存在しない。ジャックはダニエルの影。心の奥底に眠る闇の部分。悪魔の囁きによってダニエルは自ら手をかけ人を殺していったのである。人間の本質的な醜い部分の体現。

 

愛する人を助けるために新鮮な臓器を求め殺人を犯し続ける。愛するグロリアの命を守るために。

私がダニエルの立場だったらどうするだろうか。殺人を犯すのだろうか。

…私は犯すのかもしれない。愛する人を救えるのならそこまでしてしまうのかもしれない。それほどまでにダニエルはグロリアを愛していた。道徳的に間違っていることも彼女を救うためならなんだってする。愛は時に人を狂わせ冷静な判断を失わせてしまう。

 

グロリアは全てを知っていた。殺人をやめてほしいと願い、ダニエルの前で自ら命を経つ。

 

 

アンダーソンは思う。自分以外この事件のことを知るものがいなければいい。世間がこのことを知ってしまったら同情の目で彼(ダニエル)を見る。そうしたらポリーや死んでいった被害者の女性たちはこの事件の飾りになってしまう。そんなことはあってはならない、と。

ポリーへの愛。最後に彼女を守るために。

 

アンダーソンは臓器の冷凍装置を破壊した。冷凍装置は爆発し家ごと跡形もなくなくなる。

ダニエルはモンローに銃で撃たれ死去、新聞記者のモンローもまた、冷凍装置の爆発に巻き込まれ死去した。

 

 

そしてこの事件の当事者はアンダーソン以外知るものはいなくなった。

 

 

誰目線で見るか

私はずっとタイトルであるジャックが主役だと思ってた。でも最後に挨拶をしたのはダニエルだった。この時私はこの作品の主役は誰だったのだろうと改めて考えた。多分最後に挨拶をしたのだからダニエルが主役なんだと思う。本当にそうだろうか?本当の主役はアンダーソンだったように思う。懐古シーンや生き残ったのが彼一人であることからそう思った。

私は誰よりもアンダーソンに感情移入した。登場人物の中で1番好きだったかもしれない。偉そうでムカつく男だったけれど、ポリーにだけは唯一自分の弱い部分や優しい人間らしい部分を見せていたように思う。最後に彼女に想いを伝えられなかったことを彼はずっとずっと後悔しているに違いない。1番報われなかったのは彼なのかもしれない。愛する人を守れなかったこと、最後に好きだと伝えられなかった後悔を彼は死ぬまで持ち続けるのだろう。そんな彼の気持ちを思うと胸が苦しくなる。

 

多分これは見る人によって感じ方がすごく変わる作品で凄く面白いなと思った。いろんな人の感想を聞いてみたい、そんな感じ。

 

誰目線で見るかによって主役が変わる作品。

 

 

伏線回収

最初と最後に同じ歌、同じシーンを入れることですべての伏線回収。これが物語の回想シーンだったと知る。現在の世界に戻ってきた感覚になった。これで全てが繋がった。

 

カーテンコール

ソワレのカーテンコール時、ダニエルとジャックが何やら耳打ち。上手にはけるときにダニエルがジャックの持っていた杖を使ってジャックの真似をしてた。おちゃめなアドリブ演出で可愛かったなあ。

ソワレの座席はすごく見やすくてマチネで見られなかったところが全部見られた。リピーターが続出する理由がわかった気がする。1度見ただけでは全てを理解することは難しいと思う。2回目でやっと点と点が繋がり自分の中の疑問点やモヤモヤした気持ちがなくなってきたように思う。

 

 

登場人物の性格

ジャック

マチネ(加藤和樹):生気がなく殺しに迷いがない、冷酷

ソワレ(堂珍嘉邦):気狂いな犯罪者、親しみやすさ故に人が警戒せずに寄ってきてしまう

 

ダニエル

マチネ(木村達成):黒髪で真面目、一途

ソワレ(小野賢章):真っ直ぐ、一生懸命、弟感

 

アンダーソン

マチネ(松下優也):不器用、刑事歴が浅い 

ソワレ(加藤和樹):意志が強い、頑固、信念がある

 

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今回はWキャスト。両部を観劇して思ったことは演じるキャストによって物語の中での感じ方が随分と違うということ。登場人物の性格もかなり印象が違い好みは人によって分かれると思った。何度も観劇したいと思う理由はここにもあるのかもしれない。

個人的にはジャックとダニエルはマチネの方が良いなと感じた。マチネのジャックは身長が高くミステリアスで実態の掴み所がない。そして生気を感じない。

ソワレのジャックは身長があまりない方だったのでちょっと縦横凝縮感があってこぢんまりとしてるなあと思った。ただ、本物のジャックはもしかしたら意外と身長が低い人な気がしている。声はソワレ派。

ジャックのおとりとして雇われたフードの男はソワレの方が存在感がある。動きが細やかで足取り軽い。意外と色んな場面で画角のはじに何気なく存在してる感じ。マチネの時はすごく存在感がそんなに無かったように思う。

 

 

アンダーソン役の加藤和樹

存在感が凄すぎてジャックよりも目立っていて主役を食ってしまってたなあ。いるだけで目を引いてしまう人なんだと思う。

タイプライターの使い方や仕草が手慣れていてかっこいい。こなれ感があり、この仕事(刑事)に就いて長いという印象を受ける。ライトが当たっていない時の出立ちでさえ様になっていてかっこよかった。

最後の事件報告書を記す場面では、タバコに火をつけようとするがライターが不調でなかなか火がつかない。その後紙を燃やすためにつけた火でタバコに火を灯す対応力に驚いた。咄嗟の判断での行動で、アドリブというかごく自然な感じで違和感のない動作だった。

 

謎めいていること

○ジャックは最後警察を殴って撃たれて川に落ちたけど、なぜナイフを使わなかった?(切り裂きジャックはナイフで首を切っているのがお決まりなのであればナイフでもよかったはず)

○ジャックはグロリアの家に行き何故殺さなかった?なぜ放火だったのか?

○グロリアを家に閉じ込めてでないようにするには密室にしなければいけないわけだけど、ジャックはどこから出たの?

 

 

終わりに

この日は1日観劇の日だったけど、新たな自分を発見できたし自分の感性も研ぎ澄ますことができたから観に行けて本当によかったなあ。若い頃から芸術に触れるって多分すごく大事なことで、私ももっともっといろんなものに触れていきたいと思ったしいろんなことを学んでいきたいと思った。作品の感じ方は人それぞれで自分だけの想像で良い。昔は自分の考えが人と違うことに悩んだこともあったけどそれはそれで良くて自分なりの解釈で作品を楽しみながら感じたものをちゃんと記録にも残していきたい。

 

 

p.s.

来月始まるきょもさんの舞台のポスターもあったよ〜!千秋楽を観に行けることになり今からワクワクです。どんな演技を見せてくれるんだろうなあ。楽しみです。

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そして日生劇場に程近い場所にあるのがシアタークリエ。私が5月から想いを馳せ続けている場所。あの日に戻りたくて出向いてきました(まあ、めちゃくちゃ近いしね)。また来年、クリエで彼らに会えますように。

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